新聞記事 - 大光山 了光院

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2025.02.17
新聞記事

2月1日(土)発行の日蓮宗新聞に、当院に関する記事が掲載されましたのでご紹介させていただきます。

<以下原文ママ>

人はだれでも、ふとした瞬間に過去の一場面を思い出すことがあります。先日、JR市川駅(千葉県市川市)の駅ビルにある食品専門店街を歩いていて、昨年1月に参拝した京都市下京区の了光院を思い出しました。

宿を午前8時に出発し、事前のアポなしで猪熊通のお寺の参拝を始めました。猪熊通は大本山本圀寺の塔頭寺院が建ち並んでいる場所です。
その日、最初に訪れたのが了光院でした。突然の参拝にもかかわらずご住職も奥さまも気さくに応対してくれました。

「どちらからお見えになったのですか?」とご住職。「千葉県市川市から参りました」と答えると、ご住職は「市川市はどちらですか?」と言いました。私は「ご住職は市川市をご存知なのですか。国分と呼ばれる地域で、日蓮宗本山の真間山弘法寺からも近いです」と説明しました。するとご住職は「懐かしいなぁ。若い頃、私も市川市に住んでいました。弘法寺でお寺の小僧をしていたのですよ」と話しました。

当時、ご住職は弘法寺に住み込み、日中はお寺の雑務をこなし、夕方から東京都品川区にある立正大学に通ったとのこと。立正大学の最寄り駅はJR山手線の大崎駅。「どこで山手線に乗り換えたのかは、だいぶ前のことなので忘れてしまった。弘法寺の最寄り駅はJR市川駅。駅ビルには食品の専門店街があって、美味しそうなお惣菜がたくさん並んでいた。眺めるだけだったけれど、そのことはよく覚えているよ」。ご住職は懐かしむように語りました。

京都市内のお寺を訪ねて、私が住む土地が話題になるとは思ってもいませんでしたから、驚きました。しかも現在70代半ばのご住職が学生だった頃、市川駅ビルにすでに食品専門店街があったことも私にとって驚きでした。

ホームページによれば、了光院は室町時代の天文17年(1548)、本圀寺第14世だった蓮光院日助上人が、自らの隠棲の場所と定め創建。以来、約480年もの間、法灯を守り続けてきたとのこと。
現在は塀の白壁がとても美しく、落ち着いたたたずまいのお寺です。ふだんは忘れていても、市川駅ビルの食品専門店街を歩くたび、私は了光院のご住職を思い出すに違いありません。


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